花まつりが終わり…

花まつりが終わり、

ようやく大泉寺に日常が訪れたような気も致しますが、

多忙すぎてまだ花まつりの写真の整理も出来ていません (;༎ຶ۝༎ຶ)

 

この時期には所属する各会の総会・研修会がいくつも開催されますが、

昨日参加した研修会では警備会社さんから講義を賜りました。

 

大泉寺でもお世話になっている某社さん。

センサーが虫に反応しただけでも嫌な顔せずに駆けつけてくれます。

講義では防犯について、犯罪者の心理などを交えお話いただきました。

 

「防犯」で一番大切なこととは…

「犯罪を未然に防ぐこと」

だそうです。

 

落書きやゴミ、雑草を放置しない。

境内に居る方に声がけをする。

防犯カメラなどを設置し、死角を作らない等々。

お寺運営では基本的な事をしているだけでも防犯効果は望めるそうで。

 

単にお寺を守るということだけでなく、地域や家族を守ること。

心に闇を抱えた方を犯罪行為に走らせないという意味でも「防犯」は大切です。

根本を辿れば、仏様の教えを以って心の闇を払い犯罪を起こさせない事も広義では「防犯」と呼べるわけです。

 

お釈迦様も2大国に挟まれた小国の王子としてお生れになり、幼少の頃から死への恐怖に怯えていました。

その恐怖から逃れる為に出家を志して悟りを開くに至ったのです。

簡単に言ってしまえば、仏教とは心から不安を取り除くために産まれた教えです。

 

お寺で行う行事では参加者に制限を設けてはおりません。

どなたでも仏様とご縁を結び、仏法を授かることができます。

大泉寺では「花まつり」や「御会式」といった行事を通じて、全ての方に仏様のお心に触れていただければ…と考えています。

それで犯罪が一件でも減り、皆が安心できる社会に向かって行けたら嬉しいですね。

 

皆様も安全な社会に住む為に、まずご自身の心のケアもお忘れなく。

新入山務員?紹介

前回の大泉寺新聞で記事にもなった、ネコの「尊氏くん」(たかうじくん)です。

この尊氏くんは、子猫の時からお寺で飼われていたネコではないのです。

当山で飼育する動物は全てすぐ近くの「白尾台動物病院」さんでお世話になっておりますが、この尊氏くんは昨年の夏前に、その白尾台動物病院さんで保護されていたネコちゃんです。

実は尊氏くんは左前脚が欠損し、素早く動くことができません。

 

実は保護されたときには、市内のある場所でトラバサミ(動物用の罠です)に捕らわれていたそうです。

発見されたときは既にもう何日ももがき苦しんで、瀕死の状態であり息も絶え絶えでありました。

かろうじて保護された後も受難が続き、保健所から動物病院に治療の為に来た尊氏くんは、ある程度元気になると再び保健所に連れて行かれてしまうという行政の犠牲者になるところでした。

そんなある日、お寺では鼠の害に悩まされ副住職が白尾台動物病院さんに相談に行ったのでした。

 

そこで出会ったのがこの尊氏くんです。

ある程度回復し病院にも慣れていた彼ですが、とても人なつこく甘えん坊なので看護師さん達にも可愛がられ、初めて会う私たちにも愛想良く挨拶してくれました。

そんな彼は名前不明であり短期治療の為、病院内では「うっちゃん」と呼ばれていました。

そこで副住職により元の名を活かし「たかうじ」と命名され、お寺に来てからはしばらく体力の回復と環境に慣れる為に裏で飼育されていましたが、無事研修が終わり昨年末からお寺の玄関デビューし、鼠避け兼・接客係として働いております。

お陰で鼠の姿を見なくなりました。

 

人が大好きな尊氏くんは、接客にも向いていてネコ好きなお客さん達にも可愛がられていて幸せそうです。

お寺にお越しの際は玄関入ってすぐの左側にケージがありますので、「尊氏くん」と呼んであげると、起ち上がって挨拶してくれると思いますので、

ぜひ遊んであげて下さいね。

ありがたいこと・・・

副住職の私が僧侶を目指し、大泉寺に帰ってきてから15年になります。

その間に結婚をし、子供が産まれ生活は大きく変わってゆきました。

それなりに経験を積み、お寺のお仕事の中でも大切な年中行事である

「お会式」「花まつり」の運営において師匠より責任を任され、

ほとんど自由に好きなことをやらせて頂きました。

一応お寺がどうあるべきか考えて、

今後のお寺のあるべき姿を想定して企画実行してはおりますが、

私がやっていることが正しいかどうかは解りません。

当然良かれと思ってやっているのでたくさんの良い部分もありますが、

その一方で私の行事運営と合わない方がお寺に寄りつかなくなってしまった例もあります。

非常に思い悩み、どうあるべきか今でも日々悩んでおりますが、

総代さん達を始め、多くの世話人さんや白蓮會の方達

影になって支えてくれる多くの方によって何とか行事を運営できています。

中には一切大泉寺とは縁の無かった方なのに、

自ら色々とフォローして下さる方も1人や2人ではありません。

行事を通じて初めて知り合った方もたくさんいます。

ご縁のある皆様に支えていただいて、今回もお会式を迎えることができます。

 

「ありがたい」とは「有り難し」

仏教用語が語源で「そこに有ることが難い・めったにない」という意味の言葉です。

仏法は有り難しものだから、ありがたいものと変化してゆきますが、

現在ではさらに「ありがとう」という言葉に進化しています。

 

日々支えて下さる有り難しご厚意、

皆様本当にありがとうございます。

グローバル化

サイトの管理をしていると色々なアクセス情報を見ることができます。

サイトを新規に作り直してからの統計情報を見てみると、

様々な国から見て頂いているのがわかります。

日本語しか使っていないサイトなのにアメリカから1000回以上、

他の国々からもボチボチアクセス頂いています。

もしかしたら国内の方がプロクシを刺しているのかもしれませんが、

海外の方が見ても、写真だけでも大泉寺の魅力が伝われば良いなと思います。

Facebookページの富士山御宝塔のページもよく海外の方がチェックインして下さいます。

日本も国際化が進んでいるんですね。

仏教と大泉寺、富士宮の情報などを更に伝えてゆきます。

5年

多くの命や人々の生活を奪った東日本大震災から5年。
あの日何をしていたのか色々と鮮明に覚えています。
我が家でも電気が使えなくなり、情報も入ってこない中家族で工夫してやりくりしていました。
情報が入って来てからはその被害の大きさと、何もできない無力感に絶望しました。
私自身が仲間と現地入りして支援活動をすることができたのは1年近く経ってからです。

今になってもほとんど何にもできていませんが、今日はあの日を思い出し、供養をさせて頂きます。

南無妙法蓮華経

花まつり準備

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現在、毎日の様に花まつりの準備をしています。
色々と各方面と打ち合わせが済み、決定内容を発送するのに何種類も印刷物を作りますが、子供の頃この様な印刷物は家族総出で手折したものです。
20年ほど前に紙折機を導入した時はそのスピードに感動しました。
その機械もこの数年調子が悪く、それでも安い機械ではないので使っていましたが、補修パーツが無くなり、新型を導入しました。
やっぱり新しい機械は良いです。
ノートラブルで、体感で2倍くらいの速度で作業が捗ります。
「凄いぞッ!買って良かった‼︎」
と思う一方、昔お茶を飲みながら家族皆んなで会話をして作業していた時代が懐かしくなりました。
昔より日々が忙しなくなった気がします。
昔を美化して考える様になったのは、私が昔と言える過去を持つ年齢になってきたのか、それとも私以外もそう考えているのかはわかりませんが、時代は進んでいます。
私の子供たちも将来同じ様な事考えるのかな?
ただ、今から手で折るかと聞かれれば、迷わず機械を買いますが…

ビデオ撮影

今日も日蓮宗静岡県中部布教師会で行っている、講座説教の教則ビデオの撮影をしています。
場所は大渕の法蔵寺様です。

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プロの仕事

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皆さんは「高座説教」をご存知でしょうか?
日蓮宗独特の法話の仕方なのですが、落語の原点とも言われています。
高座説教について詳しくはまたの機会にご紹介致します。

私(副住職)の属する日蓮宗静岡県中部布教師会では現在、高座説教の教則DVDを製作中なのですが、昨日はその撮影を行いました。

私は裏方での参加となりますが、業者さんとの打合せや、撮影の仕方を拝見させて頂きますと、プロの仕事を間近で見るということは、違う職業でも色々と勉強になります。

ほんの数秒のシーンでも、じっくり時間をかけて妥協せず何テイクも撮影するのはとても神経を使います。
トータルでも数十分の動画で、撮影に3日掛かる事となりました。

普段何気なく観ているドラマや映画も、途方もない時間と手間をかけているのがよく解ります。

そういえば、我が家の三つ子を授かり産まれたときも、TV局から取材に来てましたが、私の横で何日かずっとカメラを回してましたが、実際に放映されたのはほんの数分でしたね。

スポーツ選手なども試合の為に練習を重ねます。
イチロー選手は天才と呼ばれる事を嫌うそうですが、天才という言葉が努力の積み重ねを否定するような気分になるのかもしれません。

我々僧侶も日々修行を積み重ねておりますが、僧侶にとって成果の披露の場というのは何処にあるのか?
お説教というのも披露の場ではありますが、お説教をするのも言説修行という修行のひとつでもあります。

学生時代、私が住み込みで修行生活をさせて頂いた日蓮宗宗立谷中学寮の当時の寮監・菅野先生がよく仰られておりました

「谷中学寮では細かいルールのようなものは決めません。ここで生活を共にする皆に守っていただきたいのは、ただ、僧侶たれ!」

これは「僧侶たれ」という言葉に全て込められています。
僧侶らしい生活を自分自身で考えて行動しろという意味です。

高座説教という優れた技術を、活かすも殺すも我々説教師の資質次第で、同じ言葉を同じように発しても、説得力に差が出るのはそういう「僧侶たるか」どうか。
ステレオタイプな僧侶像を体現するのではなく、個性を活かしながら言葉遣いや細かい仕草にも気を配り、その積み重ねが説得力を生むのでしょう。

久々に高座説教の所作に触れ、初心に帰って色々と考える事ができました。