中外日報記事今では大泉寺題目宝塔のみが現存しておりますが、かつては多くの仏教関連施設が富士山に存在しておりました。
それに関する記事をみつけましたので、転載させて頂きます。
記事を書かれた望月先生は身延山大学教授で、私(副住職)も立正大学在学中に講義を受けさせて頂いた事があります。
TEL.0544-26-3278
〒418-0039 静岡県富士宮市野中685
中外日報記事今では大泉寺題目宝塔のみが現存しておりますが、かつては多くの仏教関連施設が富士山に存在しておりました。
それに関する記事をみつけましたので、転載させて頂きます。
記事を書かれた望月先生は身延山大学教授で、私(副住職)も立正大学在学中に講義を受けさせて頂いた事があります。
松葉谷法難会(八月二十七日)
松葉谷は現在の鎌倉大町のごく一部地域をいいます。
私(副住職)の母はこの松葉谷の妙法寺というお寺より嫁いで参りました。
現在では私の弟・藤田是光が法燈を継承し、住職として跡を継いでおりますが、
この妙法寺は日蓮聖人が鎌倉における布教活動の拠点として構えていた御草庵跡地に建立されました。
元々は京都に移転された本山本圀寺がこの地にあったといわれております。
詳しくはこちらをご覧ください。
さて、この御草庵におきまして、日蓮聖人が住む松葉谷の草庵が夜襲をされました。
この日に営む報恩慶讃の法会を松葉谷御法難会といいます。
聖人は文応元年(一二六〇)八月二七日の夜、念仏者を中心とする暴徒に襲撃されました。
草庵は焼かれたものの、裏山に逃れて危機を脱した聖人は、下総の富木常忍のもとに身を寄せられました。
松葉谷法難は『立正安国論』献呈後、一カ月余りして起きた念仏者等の聖人殺害をはかった暴挙でしたが、
法華経弘通者は身命にかかわる難に遭遇するという法華経の予言を身に帯して行動された聖人は、
この難を法華経弘通者の必然として甘受されました。
先日告知したとおり富士山へと行ってまいりました。
前回富士山へ行ったのはほんの2~3年前だと思っていましたが、もう5年も前の事でした。
御宝塔自体にはさほど変化が見られず安心しましたが、少し土砂が堆積していて土台が埋まってきていました。
そろそろ手を入れないといけません。
出来る限り皆で綺麗にしてから、
この富士山御題目宝塔の建立された目的である「天下泰平国家安穏」と登山者の安全を読経祈願し
白蓮會の皆様とお囃子と纏を振り込んで来ました。
写真は登りの最初の頃ですが、みんな元気に歩いていました。
ただ、車で新五合目まで行けてしまうので忘れがちですが既に標高2500mという常識外れの高地。
登山に慣れない身には、空気が薄くほんのちょっと歩くだけでもかなりしんどいです。
今回は74歳の方から4歳児までと幅のあるメンバーでしたが、怪我もなく無事に楽しく帰ってこれました。
今回の登山では現地で色々な方とお話ができ、それも楽しかったですね。
御宝塔に興味を持ち、わざわざお参りに来てくださった方々。
六合目の山小屋のご主人も地元の方で、人づてにご縁のある方だということもわかりとても良くしてくださいました。
お礼に商売繁盛の御祈念で、ここでも披露させて頂きました。
今回は動画をメインに撮影してきましたが、編集に時間がかかるのでまた後日アップいたします。
天候により一月延びてしまいましたが、明日大泉寺の富士山題目宝塔へとお参りに行ってきます。
今回は大泉寺万灯講「白蓮會」と共に行き、現地でお囃子も奉納致します。
約150年前に天下泰平国家安穏を祈念して建立された御宝塔です。
昨今の混沌とした情勢は、当時の人々が見たらどのように感じるでしょうか。
少し多忙だった為、更新が遅れました…
世間では帰省ラッシュが凄いそうですが、お寺では帰省してお墓参りされる方々をお迎えしています。
春秋の彼岸と並ぶ先祖供養の法会の事をいいます。
盂蘭盆とは梵語「ウランバナ」のことで、倒懸(とうげん)と訳します。
逆さに吊るされた苦しみを意味し、苦界に堕ちた霊を供養する行事として古くから営まれています。
『盂蘭盆経』には、お釈迦さまの十大弟子の一人で神通第一といわれた目連尊者が飢餓道に堕ちて苦しむ母親を救おうと食物を与えるのですが、母親が口に入れようとすると燃え上がり、水をかけるとさらに激しく燃えるので、お釈迦様に救いを求めました。
釈尊は、七月十五日に十万の聖僧を集め、飲食を供えて供養するようにと教えられ、これによって目連尊者の母親は苦より救われたといいます。
日蓮聖人は、さらに釈尊のその後の法華経の説法により、目連尊者と母親に真の救済がもたらされたとしています。
お寺ではこの時期の前後に施餓鬼法要を営み、各家庭では精霊棚を設けて先祖の霊を迎えます。
盂蘭盆は七月十三日の夕の迎え火から始まり十五日の送り火に終わります。
富士宮地区や地域により月遅れで八月に行います。
さて、今日の夕方お墓参りに来た方にはチョットしたラッキーが訪れましたね。
珍しいほどの綺麗な虹が境内から観ることが出来ました。
ご先祖様達からのプレゼントでしょうか。
この時期から、万灯講ネタが増えますがご容赦下さい。
この度、「石材の小野田」様と「ホンダクリオ富士」様から白蓮會へと貸出用の半纏のご寄付を頂きました。
今回のロットで間に合ったのは石材の小野田様の物だけですので、ホンダクリオ富士様の半纏は出来次第ご紹介させて頂きます。
こちらの半纏はお店出しの半纏となりますので、胸の控紋はご贔屓(スポンサー)様のオリジナルのモノとなります。
一目で石材屋の小野田さんだとわかる素晴らしいデザインですね。
「石材の小野田」さんの二代目小野田晶洋社長は、副住職の幼稚園時代からの友人で、途中学校が違ったりしましたが、今年で33年もの付き合いになります。
万灯講も一番最初は、私と彼の二人きりで「やってみようぜ!」と纏作りから始めたものでした。
彼は「無い物は作ればいい」「道が無ければ作ればいい」という発想の持ち主で、ずいぶん助けてもらいました。
また詳しく記事にする予定ですが、富士山には大泉寺の御題目宝塔が建っています。
かつてはここに祖師堂がありましたが、祖師堂含め多くの仏教施設は明治政府の廃仏毀釈により壊されてしまいました。
今では奇跡的に難を逃れた御題目宝塔のみが、江戸時代以前に神仏混合で大切にお参りされた時代の名残となっています。
場所はココ↓
+35° 20′ 29.24″, +138° 44′ 15.76″
写真は平成22年に(有)石材の小野田さんから寄進して戴いた香炉を持って行った時のものです。
もう5年も経つんですね、時間の流れとは早いものです。
これは黒御影の良いもので、33kgもあって担いで行くのは重かったなぁ・・・
空気も薄く平地よりも体が動きませんでしたが、お檀家さんや友人に協力してもらい、現地に届けられたことは良い思い出です。
さて、7月18日に白蓮會と共にここを参拝し、天下泰平国家安穏と登山者の安全を祈願し纏を奉納する予定でしたが、
台風の為延期となる可能性が出てきました。
8月22日を予備日としておりますので、参加希望の方はお問い合わせください。