松葉谷法難会(八月二十七日)
松葉谷は現在の鎌倉大町のごく一部地域をいいます。
私(副住職)の母はこの松葉谷の妙法寺というお寺より嫁いで参りました。
現在では私の弟・藤田是光が法燈を継承し、住職として跡を継いでおりますが、
この妙法寺は日蓮聖人が鎌倉における布教活動の拠点として構えていた御草庵跡地に建立されました。
元々は京都に移転された本山本圀寺がこの地にあったといわれております。
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さて、この御草庵におきまして、日蓮聖人が住む松葉谷の草庵が夜襲をされました。
この日に営む報恩慶讃の法会を松葉谷御法難会といいます。
聖人は文応元年(一二六〇)八月二七日の夜、念仏者を中心とする暴徒に襲撃されました。
草庵は焼かれたものの、裏山に逃れて危機を脱した聖人は、下総の富木常忍のもとに身を寄せられました。
松葉谷法難は『立正安国論』献呈後、一カ月余りして起きた念仏者等の聖人殺害をはかった暴挙でしたが、
法華経弘通者は身命にかかわる難に遭遇するという法華経の予言を身に帯して行動された聖人は、
この難を法華経弘通者の必然として甘受されました。