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御首題•御朱印受付について ※令和4年1月16日時点

御首題•御朱印について

1月16日現在、新規感染者数が25,000人を超え、昨年のピーク時に匹敵する状況です。


11月より受付再開しておりました御首題•御朱印の受付は、状況が落ち着くまで

当面は書置きのみの対応とさせて頂きます。


感染拡大予防の為、何卒ご理解の程よろしくお願いします。

状況によって、再開や休止の案内は公式サイトやSNSで告知致しますのでご確認下さい。

新年の御挨拶申し上げます

皆様、新年あけましておめでとうございます。

除夜の鐘の後、本堂で檀信徒の皆様と共に御本尊様の御宝前で新年を迎えられたことは誠に有り難いことでございます。

そして皆様に新春の御挨拶が出来るということは、住職としてとても嬉しいものです。

昨年はコロナの流行の真っ只中でしたから、除夜の鐘、そして新年祝祷会を共に

中止せざるを得ませんでしたが、過去のことを思い返してみても私が知る限りでは初めての出来事でした。

 

直接お会いしたり、ブログのように文章にしたりやり方は色々ですが、

「挨拶」はどれも素晴らしいものですね。

そして今日は新春の御挨拶でも使いましたが

「おめでとうございます」という御挨拶は特に良いことばであると感じます。

 

挨拶をするときというのは、何かの始まりや終わり、会うとき別れるときなど何かを区切るときにケジメとして使います。

我々日本人は「けじめ」というものをとても大切に致します。

けじめの文化というものですね。

ついさっきまで令和三年の大晦日だったのに、年が開けた途端気持ちが入れ替わります。

 

大晦日は一年の締めくくり、世間様に恥ずかしくないように準備や挨拶などで飛び回ったり、新年を迎えるために掃除をしたり片付けをするものです。

それがひとたび元旦を迎えますと、今までのことは水に流し新年からは新しい気分で身も心も一新してまた頑張るという、素晴らしい文化だと思います。

 

除夜の鐘や初詣など参詣頂きましたことや、当山のサイトをご覧頂くことで、仏様とのご縁が出来ました。

素晴らしいことです。

 

更にいえば、一緒に列に並んだ方や、たまたま横に座っている方、SNSで「いいね」を一緒に付けて下さった方とも少なからずご縁が出来ました。

これも大変素晴らしいことです。

 

袖振り合うも多生の縁と申しますが、もしかしたら今年このご縁が大きく実を結ぶこともあるかも知れません。楽しみです。

 

このご縁というのは「関わり」のことですから、周りの人や起こった出来事とどの様に関わってゆくのか?

その関わり方次第で自分自身を変えることが出来るのです。

特に良いご縁を頂きますと、それだけで素晴らしい方向に変化して行くことが出来るのは間違い有りません。

逆にあまり良くないご縁ですと、前向きに良い方向へは行かないようであります。

 

ただこの「ご縁」というのはただの自然の成り行きではございません。

御縁の中心は自分・自己の心がすべてを決めているのです。

特に今という時代は良くも悪くも大きく変化が求められる時代でもありますから、自分で判断してゆくことが今まで以上に大きな意味を持つようになってゆきます。

「自分の意見を持つ」ことの大切さがより重要になってくるわけです。

 

だだ、自分の意思で大切な物事の行く末を決めるというのは、誰しも迷うものでもあります。

どっちが正しいのか?どうするべきなのか?

明確な答えがない正解のない判断をすべきときこそ大切になってくるのが、

正しい信仰というものです。

 

仏様の教えというのは真理ですから絶対に間違いの無いものです。

迷ったときこそ仏様の声に耳を傾け、その上で自分の意思で正しい判断をしてゆくこと。

正しい価値観を持つ事!

これが大切なのです。

 

除夜の鐘や初詣、また新年のお墓参りやお仏壇への回向は、ただの新春のお参り、御挨拶というだけでなく、

自分自身の心の中に改めて正しい信仰を持ち、人間らしい生活をするぞ、という気持ちを御本尊様やご先祖様に誓う一年の最初のけじめの法会なのです。

この令和四年、皆様のご多幸を心より祈念申し上げると共に、

それぞれの夢、それから希望をお持ちのことと思いますが、それを実現させるためにもなお一層の精進・努力をお願い致しまして

新春の御挨拶とさせて頂きます。

 

合掌

妙覺山大泉寺 住職 遠藤是真

除夜の鐘について

今年は大晦日の除夜の鐘、開催いたします!!

昨年は感染者数もかなり多かったので中止となりましたが、今年はワクチン接種も進み感染者数もかなり抑えられておりますので、飲食物の提供はせずに開催します。

本来はこの様な不安な世相のときこそ、鐘を撞き新年に向けて祈願できる環境を整えるのが我々の役割ですが、人や物に接触するのが危険な状況では中止せざるを得ませんでした。

今年はなんとか開催出来そうなので、安堵致しております。

やはり鐘の鳴らない大晦日は寂しいものです。

また鐘の後は本堂に於いて、仏様に新年のご挨拶を申し上げ皆様の平穏な一年を祈願する「新年祝祷会」を執り行います。

ぜひ近隣の方は新年に向けて鐘を撞き、本堂での御祈願にご参加ください。

除夜の鐘  12月31日 23:45〜 鐘楼

新年祝祷会  1月1日 0:15〜 本堂

御首題(御朱印)について ※令和3年11月30日時点

今現在のコロナウイルスの状況は、

世界的にはオミクロン株が新たに猛威を振るっているようですが、

国内の状況は比較的落ち着いているようです。

この一週間の感染者数が全国で1000人を切り、

静岡県内ではこの数日確認されていないようです。

 

この状況を踏まえ、しばらく受付を休止していた

御首題(御朱印)の受付を再開致します。

 

また感染拡大第六波の可能性もありますので、

状況を見ながら、場合によっては再び休止することもございますので、

お越しになる前に、

公式サイトやSNS等でのご確認をよろしくお願い致します。

 

※住職不在等により対応できない場合も多々ございます。

境内トイレの使用問題について

今から10年くらい前に歌手・植村花菜さんの「トイレの神様」という歌が流行しました。

紅白でも歌われていたのでご存じの方も多いと思います。

その歌詞は日本人の心に素直に入ってくるすばらしいもので、今でもラジオなどで流れると胸に響きます。

 

ここ数ヶ月、お寺の境内トイレの使用についてトラブルが続いております。

基本的には当山参詣者のために設置されたトイレであり、清掃・使用に関わる経費は浄財にて賄っております。

またお寺は地域におけるコミュニティの場でもあるためお檀家さんに限らず使用できる場所です。

なので様々な方が出入りしている中で、トイレの使用に問題のある方が見受けられます。

  1. トイレットペーパーの盗難
  2. トイレの使用法に問題がある 等が主な問題なのですが

 

1.トイレットペーパーの盗難・・・論外です。

予備も含め数日で紛失しておりますが、以前は数ヶ月は保っていたものです。

実際に参詣された方からも困っていると頻繁に苦情が出ておりますが、毎週在庫はチェックしています。

たとえ一つ100円程度の物であったとしても、盗難は立派な犯罪行為であり
刑法第235条に規定され窃盗の罪とし、10年以下の懲役または50万円以下の罰金に処されます。

また浄財で購入した物を持ち帰るのは、許される物ではありません。

お寺は心を清く保つための場所であることを心に留めおきください。

トイレ前には防犯カメラも設置されております。

仏様も、防犯カメラも

「あなたの事を観ていますよ。」

 

2.トイレの使用法に問題がある

こちらも後で使う方や、清掃する方の気持ちになってお使い頂きたいものです。

便器にの周りに汚物が付いてしまうのは、場合によって仕方ないとは思いますが・・・

せめて「少し清掃する」「寺務所に伝える」などのことはして欲しいのです。

毎週清掃はしておりますが、寺でも人員に余裕がなく数日放置されてしまう可能性もあります。

そうなると後で利用する方すべてが嫌な思いをするどころか、使用困難な事も考えられます。

これも自身のことはキッチリして頂きたいものです。

皆が気持ちよく使えますようご協力をお願い致します。

 

どちらも以前はほとんど無かった問題です。

トイレの在り方は心を映す鏡です。

 

人を疑い使用に制限を設けたり、

常時監視するようなことはしたくありません。

 

トイレの神様の歌詞には

「トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで」

とありますが、人の美しさとは心の内側が反映されるものです。

心の内から美しくありましょう。

またトイレの守り神様には「烏蒭沙摩明王」という神様がいらっしゃいますが、

不浄を焼き尽くす炎の神様でもあります。

不浄な心を焼き尽くされぬよう・・・

 

お寺のトイレに限らず、

使用や管理は自分以外の誰かがやってくださる場所

「自宅以外にあるトイレはすべて善意の施設である」

ということを忘れずにお使い頂けたら幸いです。