説者(お説教をするお上人)は、市内「東光寺住職・川名義博上人」です。
私立宮原学園副園長、身延山布教師、人とまちづくり支援の会代表、富士宮市文化財保護委員など方々で活躍されています。
特に東日本大震災の後、何度も岩手県まで足を運び自らの手で支援活動を行っており、私も何度かお手伝いさせて頂きました。
今回の鬼怒川の決壊地域でもすでに活動を始めています。
普段は幼稚園の副園長先生として子供たちと触れ合う優しい方です。
さて、「高座説教」とは日蓮宗独特の古式に則った伝統的なお説教のスタイルの一つです。
落語などでも高座を使いますが、元々はこの高座説教から派生したものです。
娯楽の少なかった昔は、お説教も庶民の娯楽の一部であったと言われています。
普通のお説教等は違い、様々なルールが決められております。
日蓮宗は鎌倉時代から続く宗派ですが、長い歴史の中でいかに解りやすく仏さまの教えを説くのか、
代々口伝で練られてきた素晴らしいものです。
特徴的なのは日蓮聖人のご生涯を、
高座の狭い空間で語りだけでなく身振り手振りを添えて表現する「繰り弁」は感動いたします。
更に落語の元になっているだけあって、高座説教を修練する説者の軽妙かつ深い語り口調はぜひ一度ならず何度でもお聞きいただきたいものです。
また説者によって、得意なお話の内容や繰り弁も違いますので、通はそういう聴き比べを楽しんだりも致します。
高座説教を聞いたことがある方は聴き比べを、まだ初めての方は高座説教の素晴らしさを是非体感して頂きたいものです。
また伝統的というと古臭いイメージが有りますが、実際はそんなことはありません。
日蓮宗では布教院と呼ばれる高座説教師の修行養成機関を設けておりますが、
修行に来るのは若いお上人方が殆どです。
私自身も何度か入院させて頂いておりますが、古臭いというよりも逆に新鮮なものに感じます。
子供の頃大好きだった時代劇の空気感がそのまま現代に蘇っている気さえ致します。
外国人が日本の古い文化に触れたがる感覚に近いのかもしれません。
デジタル化が進み、グローバルな現代社会でこそ日蓮宗の個性的な部分は際立つと思いますし、
ライブで見聞きできるお説教は素晴らしいエンターテイメント性すら秘めているのです。
ちなみに…
高座説教をお聞きするのは当山ではお布施などを頂いておりません。
ただお説教中に小さな籠が聴聞席に回ってくることがございます。
その場合はお説教師さんのお話に感動しただけ、少しでも構いませんのでお気持ちを小銭程度お入れ下さい。
こちらはお説教師さんへのお礼の一部とさせて頂きます。
粋な江戸の風習が今に息づく良い伝統だと思います。